『リチャード三世』劇評 飯嶋佳保
舞台中央に手術室を思わせるドーム型の照明が吊り下げられており、舞台三方にロンドン塔の壁を彷彿とさせる布が吊られている。布は時折上下に動き、その動きは次第に血を思わせた。装置から漂う不気味で退廃的な雰囲気を相殺するような激しい音楽に合わせて人々が踊り、酒を飲んでいる。賑やかというよりも騒々しい幕開きに度肝を抜かれた。喧騒の中からリチャード(佐々木蔵之介)が姿を現し、その直後に赤い鼻と鬘を身につけ、道化に扮装する。通常リチャードは傴僂で醜い人物として描かれるが、今回、幕開きではそのような身体的素振りは全く見られず、何より颯爽として美しく魅力的に登場する。彼が周囲を欺くために道化を演じ傴僂を装うという解釈が最初に提示されたのだ。冒頭の喧騒から一転、荘厳で緊迫した雰囲気の中、物語が進んで行く。
次に演出家シルヴィウ・プルカレーテの描く世界観を三つの要素から探っていく。 第一に「音」。サックスの生演奏は明るくも寂しげな印象を与え、不穏な金属音が度々緊張感を煽り、マイクや拡声器による声は異化効果をもたらす。特筆すべきは終盤、リチャードが亡霊に苛まれる場面。「この世に思いを絶って死ね」という台詞が歌になり、ミュージカル要素を取り入れながら犠牲になった人物が総出で歌い上げる。いずれも「音」が観客を先導していた。 第二に「具体性」。例えば処刑の場面では、浴槽にその場で水が張られ、水に沈めるところまで見せた。処刑後には生首まで出てくる。またリチャードが王位に就きビニールに覆われた玉座と交わる場面は寓意に満ちながらも直接的で、他にも観客が出来事を体験できるような仕掛けに溢れていた。 最後に「ユーモア」。残酷なドラマ展開にも関わらず笑える場面が多かった。古典的な笑いからブラックユーモアまで多岐に渡り、観客を退屈させない工夫が随所に見られた。 これらの三要素が相補的に絡み合う世界観にいつしか観客は虜になっているのだ。
今回、ヨーク夫人(壌晴彦)、マーガレット(今井朋彦)、アン夫人(手塚とおる)、エリザベス(植本純米)の四人の女性の役を男性の俳優が演じた。彼らの艶かしい倒錯美や低く響く声色によって、計り知れない野心や狂気、屈折した愛憎が描かれた『リチャード三世』の魅力を底上げしていた。
斬新な解釈や発想は物語や心情を追いにくくする。しかし、このカンパニーの作品に対する真摯さがその一般論を崩壊させていた。
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